偶像たちが目にしみる

月火水木金土日以外で会おうよ

今夜このまま

ドラマ『獣になれない私たち』を欠かさず見ている。

 

主人公たちを真似て、安い缶ビールを開ける。

 

クラフトビール、飲んだことないなあ。


私は、このドラマが始まった頃就職した会社を、このドラマが終わりゆく今、辞めた。

 

 

 

 

 

 

私にはどうしても働き続けたい会社と、どうしても一緒に働きたい人がいた。けれど、その会社も、その人も私に全くの無関心だった。周囲の人は、がむしゃらに働いていた私を表では挨拶も無視して、SNSで揶揄して、その投稿にいいねをつけていた。
誰にも相談できなかった。まるで知らないみたいに毎日笑顔で挨拶したし、まるで知らないみたいに優しく接した。そんなこと気にしない。そんなこと書かれる私がいけないから。そんなこと書かれるくらい周りに疎まれる人間なんてむしろ消えた方がその会社のためだから。

 

半分自棄と、半分自分を変えたくて、やって来たのが前の職場だった。ここで何年か頑張って、大好きなあの会社の試験をもう1度受けに行こうと決めていた。自信を持った姿で、その人に会いに行こうと夢見ていた。

 

好きな服を着て、好きな靴を履いて、好きなネイルをして。
教えてもらった仕事のメモを持ち帰って、家で仕事の分野ごとに清書した。自分なりに研究した。

楽しかった。


けれど、それも長くは続かなかった。

 

 

 

 


教育係の上司は私より一回りほど歳上の女性だった。

気分屋だった。

機嫌がいいときはいいし、悪いときはひたすら悪かった。

 

しばしば、今の発言録音しておけば良かった、と冗談半分に思うことがあった。
でも、笑って流したり、聞こえなかったふりをしたり、謝っておけば。その夜好きなアイドルの映像を観て、週末に友達とご飯を食べに行けば、そんなこと、やり過ごせていた。


彼女を知る他の先輩たちは、「〇〇さんはそういう人だから」「ちょっと言い方がきついけど悪い人じゃないから」と言った。私もそう思っていた。


『その日』は、私も彼女も少し運が悪かっただけなんだと思う。

 

 

 

 


その日もいつも通り出勤した。

 

警備員さんに社員証を見せて、カーテンを開けて、レジを立ち上げて、棚をはたいて、床にモップをかけて、鏡を磨いて、有線のスイッチを入れる。
いつもの朝の仕度。

 

ひとつ違うのは、段ボールがひとつ置いてあること。何も書き置きもないし、上司が出勤したら確認して、それから手を付ければいいかなと思った。

 

鏡に映る自分。今日はベレー帽を被ってきた。学生時代からのトレードマークのひとつだったけど、卒業してからあまり被らなくなっていた。
働く服装は自由な職場だけど、いきなり帽子とか被ると印象よくないかな、でもそろそろ1ヶ月経つし仕事も手についてきたし、いいかな、なんて思って。

 

上司が昼過ぎに出勤してくるまでお店には一人。まだ手際がいいとは言えなくても、ギフトラッピングや接客をなんとかやりきった。レジは列が出来ずとも途切れないくらいの様子だった。

 

ふとスマホを確認すると上司からLINEがあり、1時間遅れるとのことだった。
そこまで混んでもいないのでお気を付けてゆっくり来てくださいと返した。


1時間遅れて上司がマスク姿で出勤してきた。
1時間の遅れは体調が優れなかったからかと察し、どうしたのかと問おうとしたら、

 


「何でやってくれてないの?」

 



 


「え」

 

「段ボール」

 

「え、あ、すみません」

 

「私が来るまで時間あったのになんで片付いてないの」

 

「明日からセールですし、〇〇さんのことなので何か理由があって置いているのかと思って」

 

「明日からセールだからこそでしょ。考えたら分かるよね。あ、私書き置きとかしないから。前いた子は何も言わなくてもやってくれてたよ」

 

「すみません、今からやります」

 

「そうやってかしこまるのもやめてくれる?そういう感じだったら私あなたに仕事お願いしないから。私風邪引いてるの。あんまり大きな声出させないでくれる?」

 

「はい。すみません」

 



 


「すみません、お待たせしました。終わりました」

「へぇー。早いね」

「…」

「…」

「あの、出来ることがあれば指示を頂けないでしょうか」

 



 


「じゃあこれ。どのくらいでやるか決めて」

 

「もう1ヶ月でしょ。甘やかしていられないから。社員でしょ?店長になるんでしょ?他の人まとめるんでしょ?そういう立場の人が仕事遅いんじゃ示しつかないでしょ?で、決めた時間までに出来なかったらもうそこで終わりだから」

 

「…1時間?」

 

「そんなに?」

 

「…40分、で、終わらせて、そのあと休憩入ります」

 



 


40分経った。

 

その場で糸が切れた人形みたいにうずくまった。泣くな。泣くのだけはやめろ。絶対泣くな。そう念じるほど視界はぼやけていく。

 

これまでは顔を思い浮かべたら笑顔になれていたはずの大好きな人たちの顔が、何故かその時は思い浮かべるほど顔が歪んで涙が溢れてきた。

頭の中で色んな人に謝った。

 

ごめんなさい。

 

ごめんなさい。

 

 

 

ごめんなさい。

 

 

私、出来なかった。

 

 

「そんなことで泣かないでくれる」

「休憩行ってきて」

 



 

 

社員なのに。店長になるのに。みんなをまとめる立場になるのに。自分でやると決めたこともできない。いつまでたっても仕事ができない。やる気が足りない。努力が足りない。期待を裏切った。終いには子供みたいに売り場でうずくまって泣いた。社会人として、大人として、人として、最低のことをした。


螺旋状に頭を埋め尽くした。


いつもご飯を食べる休憩室まで辿り着けず、胃の中に何もないままお手洗いに駆け込んで嗚咽だけを続けた。

 

ふらつきながらも、売り場に戻らなくては、とお手洗いから出たときに、動悸と過呼吸に襲われた。

 

駆け付けてくれた警備員さんたちに救護室へ運ばれながら、仕事中なんです、戻らなきゃいけないんです、と息も絶え絶えに必死に答えた記憶はある。

 


迎えに来た上司に頭を下げた。

「戻ります。仕事させてください」

「残してあります」

 


追い詰めちゃったねえ。すごくしっかりしてるから21歳だって忘れてたよ、と笑う上司に手を引かれながら、ああ化粧直したかったな、と少し思った。

 

 

 

 

 


「相談してくれたらよかったのに」

 


その日初めて会った常務はそう言った。

 

眼鏡にすっぴんで伸ばしっぱなしの髪に剥げたネイルにジーンズ姿の私と、履歴書の私を見比べて、何だか雰囲気違うみたいね、と笑った。





 


「働けなかった」

 

そう呟いて道にうずくまって泣く彼女。あぁお芝居上手いなぁ。来週最終回かあ。テレビの向こう側の景色。

 

 

 

すっかり泡の抜けた缶ビールは、まだ半分近く残っている。