偶像たちが目にしみる

月火水木金土日以外で会おうよ

私は、『成功したオタク』になれていますか

会場の向かいにあるセブンに駆け込んで買ったミネラルウォーターは、一瞬でぬるま湯になった。

 

生温い空気を掻き回すだけのハンディファンを握り締め、階段を駆け降りる。整理番号が振られたチケットの半券とともに切られるのは、私達の戦いの火蓋だ。

スタンディングのフロアでいかに良い位置を取るか。笑って帰るか泣いて帰るか。今日の運命を左右する大事な瞬間。

その日は友人が早い整理番号のチケットを取ってくれたおかげで、前方のとても良い位置で公演を迎えられることとなった。

とはいえ、最前列ではないから見落とされてしまうかもしれないし、やってもらえるファンサービスにも限りがあるだろう、とは思っていた。

 

公演も中盤に差し掛かった頃、そんな私の目の前に、スッと手が差し伸べられた。

 

 

推しの手だった。

 

 

指の先まで芯の通ったダンスをする手。

楽器を弾く手。

芸能活動を休んでまで何時間も机に向かって方程式を解き続けた手。

 

たくさんの『大好き』を生み出す、私の大好きな推しの手が、私に向かって伸ばされていた。

 

その瞬間の私は確実に、『成功したオタク』だった。

 

しかしそれも、今となっては遠い遠い昔の、他人事のように感じる。

 

 

 

このまま嫌いになって終わるより、「やっぱり好きだな」と思い続けて断ち切れないのが一番つらいだろ 3年間の楽しい思い出とか、●●のおかげで繋がったフォロワーさんとか、●●が仕事や学業頑張ってるから私も、って前に進めた瞬間も全部否定するように終わりたくねえな……

 

 

数年前の私のXの投稿である。●●には私に手を差し伸べてくれた推しの名前が入りますが、掘り返すのも悪いので一応伏せています。まぁ分かっちまうか…。

 

暑さも忘れるほどの幸せの絶頂から、私は転がり落ちた。

突然突き付けられた週刊誌の記事。その直後にアップされたものの、謝罪や反省どころか何を伝えたいのかよく分からない推しのブログ。

彼のしたことは犯罪ではないにしろ、彼が重ねてきた努力を無に帰し、得てきた信頼を地に落とすようなことであった。

ときめきで膨らみ続けていた私の心は急激に萎み、冷えきり、呆れと悲しみと大量の生写真が手元に残った。

 

そして2024年。

そんな私にピッタリな映画が、韓国からやって来たのである。

 

 

※以下、作品の内容に言及しております。鑑賞を予定・検討されている方はご注意ください。

 

 

 

失敗したオタク

本作の監督であるオ・セヨン氏は、推しに認知され、彼の熱心なファンとしてTV番組にも出演した『成功したオタク』。

しかし、その推しが性犯罪の容疑で逮捕されてしまう。

一転、『失敗したオタク』として絶望の淵へ転がり落ちた彼女は、ペンライトをハンディカメラに持ち変え、かつてのオタク仲間達の元を訪ねる旅に出ます。

実際のファンイベントやTV番組の映像が流れるのですが、推しを前にした監督の姿が本当に幸せそうで……。

お酒を作ろうとしたらミキサーが壊れてマッコリ大洪水になるシーンが面白かった笑 内容には全く関係ないんだけど、人のこういう情けなくて愛らしい場面もあってこそ、痛切な気持ちの吐露がより温度を持って浸透してくる。

ファンになってからの日数を計算するアプリを未だに消せなくて、まだ加算され続けているというのもリアルだったな。

 

最後の現場は裁判所

スクリーンを埋め尽くす、CDや雑誌の山。

オタク仲間とこれまで集めたグッズを持ち寄り、お焚き上げをする……はずだったのですが、推し直筆のメッセージ入りのカードや、推しの切り抜きを貼った学校の時間割などを手にすると気持ちが揺らいでしまう。このくだり分かりすぎて泣きそうになってしまった。

推しが学年1位を目指して頑張れと言ってくれたから、本当に1位を取って、ソウルの大学に進学したのに(凄すぎるよ)。

それなのに、最後に彼が連れてきてくれたのは、大きなコンサートホールの客席ではなく、質素な裁判所の傍聴席だった。でも行ったのめっちゃ偉いと思う。

空気に触れると劣化するから1回しか聴けないCDというのが出てきて、何それ?!となった。

 

「私は盲目じゃない」本当にそう言える?

続いて監督が会いに行ったのは、とある記者。彼女は監督の推しの騒動を記事にしたことで、ファンからバッシングを受けていました。

彼女との会話をきっかけに、汚職事件を起こして服役中の元大統領の支持者達のイベントに潜入します。(この行動力が凄い!)

この支持者達というのが日本でいう陰謀論ジジババみたいで本当にヤバすぎるんだけど、話を聞いていると、私も推しに対して少なからずこういう盲目さを持っていたな、こういう気持ちゼロじゃないな、と思って拒絶しきれなかった。

一見理解しがたいように思えても、そこには彼ら彼女らなりの理屈や信条がある。そのことに気付いた監督は、逮捕後もファンを続ける人々に関心を持つことをやめました。

 

大切なのは、好きになった過程

終盤で登場したのが、監督の実のお母様。彼女もまた推しが犯した罪に悲しむ1人です。

何人ものファンが登場する中で共感できる言葉はいくつもあったけれど、中でも1番心に沁みたのはこのお母様の言葉でした。

大切なのは好きになった過程で、その推しがどんな人かは関係ない」(ニュアンスです)

その言葉を聞いた瞬間、冒頭で引用した自分の投稿や、推しを通して仲良くなったSNSのフォロワーさん達のことを思い浮かべました。

きっかけこそ推しではあったものの、一緒にいて楽しい、また会いたいと思えるのは、紛れもなく彼女たち自身の人柄によるものだ、と。

そう気付いた瞬間、これまで何年間もなんとなくおざなりのまま心の底に溜まっていたものがスッと消化された気がした。

仲間と出逢えたこと。楽しかった日々。一歩踏み出せた勇気。それらはプライスレスな財産で、奪われることも損なわれることも決してない。たとえそれが、きっかけを作った推し本人であろうとも。

 

私は、『成功したオタク』になれていますか

もうオタクなんてしない。そう誓ったオタク仲間のその後を監督が追うと、結局他のアイドルや別のジャンルに転生している人が何人かいました。

ちなみに私はというと、今も元推しがいるグループのファンを続けています。

彼の行いには心底呆れたけれど、一連の騒動で迷惑を被った他のメンバー達のことはこの先も応援したかった。

でも、もう彼の名前を記したうちわやペンライトを持つことはなくなりました。オタクというよりファンになったというか。以前よりもゆるく応援することで、こうやって色んな映画やライブを観に行って、広く浅くエンタメを楽しむようになりました。

あの時の熱量は二度と取り戻せないという揺るぎない事実と、ファンで居続けられなかった罪悪感が混ぜこぜになって、コンサート中に泣いてしまったこともあったけど。

推しだった彼はその後一層努力に励み、仕事でも学業でも功績を収めている。一旦荒んでしまったファンの土壌も、また新たに育まれつつある。

今の私にとって彼は、好きなグループのメンバーの1人であり、それ以上でも、以下でもない。今いるファンを大切に頑張ってや~くらいは思うけど。

もう前に進んでいる本人やファンの方々にはこんな蒸し返すようなものを書いて大変申し訳ないのですが……、私にとって、この映画と向き合う上で避けては通れない出来事だったので、このような形で文章にすることにしました。

これからも私は、彼個人のグッズを買うこともないし、グループでの公演以外に彼が出演するステージを観に行くこともありません。

 

でも、彼からもらったたくさんの宝物と感謝はずっと、ずっと忘れない。

 

 

本当にありがとう。大好きだったよ。

 

 

FCからのメールのアーカイブに残ってた元推しの初出演舞台の当選メール。楽しかったな~…。これが騒動の始まりになった訳だけど…。

 

alfazbetmovie.com

悪童たちのインヘリタンス(映画『ゴールドボーイ』感想)

岡田将生さんメロメロ部として鑑賞してきました、映画「ゴールドボーイ」。

岡田さんは勿論、3人の若き俳優さん達がすごく良かったので感想を残しておきます。

 

 

ストーリー

原作は、中国のベストセラー作家・紫金陳(ズー・ジェンチン)氏による「坏小孩」 (邦題「悪童たち」)。
舞台を沖縄に据え、日本版としてリメイクしたのが本作です。

あらすじはこちら。

それは完全犯罪のはずだった。まさか少年たちに目撃されていたとは…。

義父母を崖から突き落とす男の姿を偶然にもカメラでとらえた少年たち。事業家の婿養子である男は、ある目的のために犯行に及んだのだ。
一方、少年たちも複雑な家庭環境による貧困や、家族関係の問題を抱えていた。
「僕達の問題さ、みんなお金さえあれば解決しない?」
朝陽(13)は男を脅迫して大金を得ようと画策する。
「何をしたとしても14歳までは捕まらないよ。少年法で決まってるから」

殺人犯と少年たちの二転三転する駆け引きの末に待ち受ける結末とは……。

──公式サイトより

 

キャスト

岡田将生さん(義父母を手にかける婿養子・東)

♡推しです♡
目。口元。異様に端整な顔立ちなのに、ひどく歪んで見えた。鑑賞中「岡田さんも年齢を重ねているんだなぁ…」としみじみしちゃったけど、舞台挨拶ではにこにこツヤツヤしててもう訳が分かりません。魂が歪んでいる人間の皺の寄り方がありえないくらい巧い。役で骨格まで変えてる怖い人。

予告では狡猾で高潔なサイコキラーというような人物造型がなされていますが、結末を知ってから振り返ると本当に滑稽というか、「ここまで頑張って完全犯罪をやったのにこんな事になっちゃって可哀想だな」とさえ感じてしまう。

てかガキたちに舐められすぎていてなんか可愛いまである。

「アイツびびってたなw」とか笑われてるし、13歳にガン詰めされて癇癪起こしてベランダに逃げてアイコス吸い始めるのも、奥さん(松井玲奈さん)と刑事(江口洋介さん)の前で猿芝居こいて冷たい目で見られてるのもなんかもう全部が浅ましくて、愚か。
徹底した「被害者ムーブ」があまりにも白々しくて終始ドン引きでした(褒めています)。

映画館のド真ん中の席に鎮座して観る推しの顔は格別でした。衣装特別協賛ということで岡田将生さんによるY'sのLOOK BOOKも楽しめるよ!
「ラストマイル」も本当に楽しみだ~!!

s.cinemacafe.net

これまでも何度か悪い人を演じましたが、どれも悪役だとは思わず、その人物なりの正当化をしながらお芝居をしてきました。

 

羽村仁成さん(東への脅迫を企てる秀才・朝陽)

今年の映画賞の新人部門は全部この方が総獲りします。そう断言できるくらい、凄かった。

正直、展開に薄々予想はつくし突っ込み所も多いシナリオなんだけど、それらを羽村さんの存在が凌駕してきた。
演技力というよりも、説得力という方がしっくり来る。

東に対して「こいつに同情したら終わりだ」と先述しましたが、朝陽に関してはそんな警戒すらさせない。途中でなんとなく違和感に気付き始めた頃にはもう手遅れ。

まだ子どもだから。働き詰めのお母さんを気遣う優しい少年だから。東という圧倒的ヴィランがいるから……。言い訳を脳内に列挙していく中、「嫌な予感」のピントはどんどん定まっていく。

相手の嘘を補完し、正当化し始めたら騙されている証拠とはよく言ったもので……。
つい数ヶ月前に帝国劇場で見たアイドルと同一人物とは信じられない。

これからご覧になる方は、冒頭の朝陽のナレーション台詞を覚えておいてください。

encount.press

彼が人と関わっていくにつれて変わっていく様を何回も台本を読み込んで研究しました。『ここで感情が切り替わるんだ』と理解しながら、カメラに向かっていました。

 

前出燿志さん(朝陽の計画に巻き込まれる不良少年・浩)

前出さんも凄かった……。

朝陽から計画を持ち掛けられた時の目の光に度肝を抜かれた。幼くて無邪気な表情と、やっていることの最悪さのギャップが本当に不快だった。(褒めています)

一瞬、東と心が通い始めていたような描写もあっただけにその後の展開が辛かった。

www.stardust.co.jp

浩が朝陽と夏月と一緒にステーキを食べるシーンがあるんですけど、ステーキを食べて、店から出てくるまでのシーンの全てが浩の性格そのものを表していると思う。

 

星乃あんなさん(朝陽の計画に加担する少女・夏月)

岡田さんが何度も「この映画は子ども達が主役」と発言していた理由を、彼女を見て理解しました。

家から朝陽と逃げるシーン、デートのシーン、朝陽と一緒にいる夏月の可愛さよ。陽の光を跳ね返す沖縄の海の水面よりキラキラと輝いていた。

監督が「デスノート」の人で、当時の戸田恵梨香さんを思い出すような華奢さと透明感に満ち溢れた俳優さんです。

nicola.jp

撮影の合間は、ストーリーの伏線を勝手に予想したり(笑)。“この展開だとしたら、あの人切ないね”とか、台本に描かれていない部分まで考察して3人で盛り上がっていました。

 

沖縄というロケーション

単に景色が綺麗だからという理由ではなく、沖縄を舞台にする意味がシナリオの中にある程度落とし込まれていたように思います。

青い海!高い空!豊かな自然!なのにこんなに閉塞感!朝陽の後ろの空に米軍機が横切るカットが不穏すぎる。

見た目だけではなく、江口洋介さん演じる刑事が島内の狭くて濃ゆい人間関係の辛さを吐露するシーンや、「この地域は東一族のおかげで栄えた土地だから、下手に東一族のスキャンダルには触れられない」と地元警察が尻込むシーンにも閉塞感やジメジメとした空気が流れていました。あくまでフィクションの沖縄として。リアリティとはまた別の切迫感のようなものはあった。

ウサンミ(法事用のおせちみたいなやつ)美味しそうだったな。

 

悪童たちの「インヘリタンス」

inheritance
(名)継承 相続 相続権 相続財産 遺産 文化的遺産 伝統 遺伝 遺伝的形質

inheritance(英語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 英和辞典

本作には遺産の相続を巡る描写が何度も登場し、物語を動かします。義両親と妻から東へ。父から朝陽へ。

また、財産だけではないものを「継承する」物語でもあると感じました。
例えば、東が朝陽に完全犯罪のトリックを教えるシーン。高揚した様子で得意気に語る東の姿は、劇中で最も生き生きとしていました。

そんな東を朝陽は軽蔑している様子でしたが、やがて東と同じ道を辿ることとなり、その眼差しは東そっくりに歪んでいました。

では、東は一体誰から悪意を「継承」してきたのでしょうか。

book.asahi.com

彼の「狂気的な殺意」が先天的なものなのか後天的なのかということもありますが「なぜこういう子が生まれて、こんな大人になってしまったんだ」という問題提議のようなものが、台本を読んでいて特に伝わってきた部分でした。

 

岡田さん自身が仰るように、何の躊躇もなく義両親を崖から突き落とせるほどの「狂気的な殺意」を東は抱えています。

かつては優秀な学生だったようで、当時のトロフィーを今でも大切に自宅に飾っている東。
彼の人生の黄金時代、正気でいられた頃の自分との鎹のようにも思えます。
彼の浅はかな言動の奥にある余白を見つめる時、果たして我々は東昇と他人のままでいられるのでしょうか。

また、かつては賢くて邪悪で大人を出し抜く少年を演じる側だった岡田将生さんが、本作ではそんな少年と対峙する大人側に回っているのも見所の1つだと思います。

作品の外でも、岡田さんから羽村さん、前出さん、星乃さんへ、作品と向き合う姿勢や意志が受け継がれているように感じられました。

 

作品概要

企画 許 曄
製作総指揮 白 金
原作 紫金陳
監督 金子修介
脚本 港岳彦
主題歌 倖田來未「Silence」
配給 東京テアトル、チームジョイ

 

gold-boy.com

君のせいで世界が眩しい(ミュージカル『町田くんの世界』感想)

ミュージカル町田くんの世界を鑑賞してきました。

 

端的に言うと、めっっっちゃ良かったです!!

堪えても堪えても涙の粒がポロポロこぼれてしまうほどでした。

 

※以下、作品の内容や演出等に言及しております。観劇を予定・検討されている方はご注意下さい。

 

 

あらすじ

物静かでメガネ。そんな外見とは裏腹に成績は中の下。アナログ人間で不器用。なのに運動神経は見た目どおりの高校生、町田一(川﨑皇輝)。
弟と妹4人の世話をしながら間もなく出産する母親(湖月わたる)を支え、家族全員から愛されている。
人間が好きで、その言葉と行動でみんなを変えて行く町田くんは、周りの人たちは気付いたら好きになってしまうような「人たらし」。

ある日、授業中に怪我をしてしまった町田くんが保健室に行くと、そこに授業をサボっていた同級生の猪原さん(長澤樹)がいた。
猪原さんは彼の傷の手当てしてくれたにも関わらず、「私、人が嫌いなの」と言い放ちその場を去る。町田くんは彼女がなぜ周囲を拒絶しているのかが気になる。
(中略)
二人の距離は徐々に縮まっていくのだが…。

──公式HPより

 

 

演出/舞台美術について

メインの町田くんと猪原さん以外のキャストさん達が1人何役も務め、説明やモノローグ的な台詞を代わる代わる口にします。テンポが良くて楽しかった!

台詞とマイムだけでも、子供が手離してしまった風船や、逃げ出してしまった飼い犬がそこに見える。

セット

カラフルな窓や柱が複雑に入れ込む、シルバニアのお家みたいな2階建てのセット。

シーンによって教室になったり、家になったりするのですが、大きな転換をしなくても今はどんな場所が舞台でどういうシーンなのかスッと理解できる。

人力でぐるぐると回転する姿は、初めての感情を知って煌めき出す町田くんや猪原さんの心を現すかのよう。

プロジェクションマッピング

エピソードの区切りごとにタイトルが浮かび上がったり、雨音や心臓が高鳴る音がよぎったり。幻想的で舞台の世界観により没入できました。

 

キャストについて

川﨑皇輝さんも「説得力」の俳優さんだなと思った。

とにかくお人よしで人を疑わない、無垢な町田くん。子供が手離してしまった風船をキャッチし、逃げ出した飼い犬を捕まえ、道を渡るご老人を助け……。こんなピュアな男子高校生はおらんやろという感じですが、皇輝さん元来の温かく凛とした佇まいが見事にマッチしていました。本当にハマり役だった!

「本作は日常の物語で、劇的な展開があるわけではない」という原作者・安藤ゆき先生のコメント通り、大きな対立構造や生命を脅かすようなピンチは本作には訪れません。

つまり、たいがいの舞台の見せ所となるような強い感情の起伏のお芝居よりも、心の移り変わりを紐解く繊細なお芝居が求められるということです。

彼らより演技力や歌唱力の高い俳優さんはたくさんいるかもしれませんが、時に初々しく、時に瑞々しく、常に真摯にステージに立つ姿は彼らだけの唯一無二のものでした。

そんな2人を取り巻くキャストさんたちも全員魅力的で、中でも西野くん(鶴岡政希さん)の恋する姿がとってもチャーミングでした。

 

まとめ

家族が分からない、友情が分からない、自分が分からない。

真っ暗な部屋で膝を抱えて塞ぎ込んでいた猪原さんにとって、突然現れた町田くんは色彩であり、光であり、心そのものだった。

そんな二人の関係性を、薄暗い自分とキラキラの推しに勝手に投影してじ~~んと来てしまいました。

暗い世界のままでいいと思っていたのに、その人のせいで世界が眩しくなる。不要不急な色彩を次々に寄越してくるせいで心がいっぱいになる。こんな幸せもらっていいのかと不安になりながらも、このままもっと、と欲目が出る。

 

唯一言ってしまうなら、猪原さんが町田くんに惹かれていく過程はとっても丁寧に描かれていたけれど、町田くんが猪原さんに惹かれるプロセスがあまり描かれていないのが少し惜しいな~~と感じてしまいました。

でも、それはそれで考察の余地というか、余白として受け取らせていただきます。

2人きりのシーンこそ少なくとも、猪原さんのキュートさはありありと伝わってきました。

町田くんと出逢ってみるみるうちに表情も声色も明るくなっていく猪原さんの愛おしさよ!反面、誰彼かまわず優しさを振りまく町田くんにやきもきするいじらしさよ!!

きっと大きなきっかけが無くとも、町田くん自身も自覚がないうちに、彼の世界に猪原さんという光が射し込んできていたのかもしれません。

みんな友達、みんな家族。そう思って生きてきた町田くんが「猪原さんは他人だ」と気付いたシーンはグッと来ました。

 

最後、町田くんが猪原さんに何と言ったのか明らかにしないのもすごく良かった。

なんて言ったんだろう。

観客それぞれの心に浮かんだ台詞はこの舞台を観終えた私達だけのお土産で、観劇から数日が経った今日も、私の世界を少し眩しく彩ってくれています。

 

公演概要

東京公演

日程 2024年3月29日 (金) ~ 4月14日 (日)
会場 シアタークリエ

 

大阪公演

日程 2024年4月19日 (金) ~ 4月21日 (日)
会場 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ

 

キャスト

町田くん 川﨑皇輝

猪原さん 長澤樹
氷室くん 神里優希
栄さん 斎藤瑠希
さくら 礒部花凜
英子先生 大月さゆ
ひかり 浜崎香帆
吉高 岩橋大
西野くん 鶴岡政希
母さん 湖月わたる
健一 吉野圭吾

スウィング 伊藤里紗/成海亮

 

スタッフ

原作 安藤ゆき町田くんの世界」(集英社 マーガレットコミックスDIGITAL刊)

演出 ウォーリー木下
脚本・作詞 ピンク地底人3号
音楽・作詞・演奏 和田俊輔
美術 池宮城直美
照明 原口敏也
音響 高橋秀雄
映像 大鹿奈穂
衣裳 藤谷香子

 

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