会場の向かいにあるセブンに駆け込んで買ったミネラルウォーターは、一瞬でぬるま湯になった。
生温い空気を掻き回すだけのハンディファンを握り締め、階段を駆け降りる。整理番号が振られたチケットの半券とともに切られるのは、私達の戦いの火蓋だ。
スタンディングのフロアでいかに良い位置を取るか。笑って帰るか泣いて帰るか。今日の運命を左右する大事な瞬間。
その日は友人が早い整理番号のチケットを取ってくれたおかげで、前方のとても良い位置で公演を迎えられることとなった。
とはいえ、最前列ではないから見落とされてしまうかもしれないし、やってもらえるファンサービスにも限りがあるだろう、とは思っていた。
公演も中盤に差し掛かった頃、そんな私の目の前に、スッと手が差し伸べられた。
推しの手だった。
指の先まで芯の通ったダンスをする手。
楽器を弾く手。
芸能活動を休んでまで何時間も机に向かって方程式を解き続けた手。
たくさんの『大好き』を生み出す、私の大好きな推しの手が、私に向かって伸ばされていた。
その瞬間の私は確実に、『成功したオタク』だった。
しかしそれも、今となっては遠い遠い昔の、他人事のように感じる。
*
このまま嫌いになって終わるより、「やっぱり好きだな」と思い続けて断ち切れないのが一番つらいだろ 3年間の楽しい思い出とか、●●のおかげで繋がったフォロワーさんとか、●●が仕事や学業頑張ってるから私も、って前に進めた瞬間も全部否定するように終わりたくねえな……
数年前の私のXの投稿である。●●には私に手を差し伸べてくれた推しの名前が入りますが、掘り返すのも悪いので一応伏せています。まぁ分かっちまうか…。
暑さも忘れるほどの幸せの絶頂から、私は転がり落ちた。
突然突き付けられた週刊誌の記事。その直後にアップされたものの、謝罪や反省どころか何を伝えたいのかよく分からない推しのブログ。
彼のしたことは犯罪ではないにしろ、彼が重ねてきた努力を無に帰し、得てきた信頼を地に落とすようなことであった。
ときめきで膨らみ続けていた私の心は急激に萎み、冷えきり、呆れと悲しみと大量の生写真が手元に残った。
そして2024年。
そんな私にピッタリな映画が、韓国からやって来たのである。
「 推 し 」が 犯 罪 者 に な っ た。
— 映画『成功したオタク』𝟹/𝟹𝟶(𝚜𝚊𝚝) (@seikouotakujp) 2024年2月20日
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予告&本ビジュアル解禁🧠🌈🥲🩷
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私は被害者か加害者か、その両方か。
彼を思って過ごした幸せな時間まで否定しなくてはならないのか。
傷ついたファンによるファンのための映画。
『成功したオタク』3.30㊏公開 pic.twitter.com/iiGHfQ9vln
※以下、作品の内容に言及しております。鑑賞を予定・検討されている方はご注意ください。
失敗したオタク
本作の監督であるオ・セヨン氏は、推しに認知され、彼の熱心なファンとしてTV番組にも出演した『成功したオタク』。
しかし、その推しが性犯罪の容疑で逮捕されてしまう。
一転、『失敗したオタク』として絶望の淵へ転がり落ちた彼女は、ペンライトをハンディカメラに持ち変え、かつてのオタク仲間達の元を訪ねる旅に出ます。
実際のファンイベントやTV番組の映像が流れるのですが、推しを前にした監督の姿が本当に幸せそうで……。
お酒を作ろうとしたらミキサーが壊れてマッコリ大洪水になるシーンが面白かった笑 内容には全く関係ないんだけど、人のこういう情けなくて愛らしい場面もあってこそ、痛切な気持ちの吐露がより温度を持って浸透してくる。
ファンになってからの日数を計算するアプリを未だに消せなくて、まだ加算され続けているというのもリアルだったな。
最後の現場は裁判所
スクリーンを埋め尽くす、CDや雑誌の山。
オタク仲間とこれまで集めたグッズを持ち寄り、お焚き上げをする……はずだったのですが、推し直筆のメッセージ入りのカードや、推しの切り抜きを貼った学校の時間割などを手にすると気持ちが揺らいでしまう。このくだり分かりすぎて泣きそうになってしまった。
推しが学年1位を目指して頑張れと言ってくれたから、本当に1位を取って、ソウルの大学に進学したのに(凄すぎるよ)。
それなのに、最後に彼が連れてきてくれたのは、大きなコンサートホールの客席ではなく、質素な裁判所の傍聴席だった。でも行ったのめっちゃ偉いと思う。
空気に触れると劣化するから1回しか聴けないCDというのが出てきて、何それ?!となった。
「私は盲目じゃない」本当にそう言える?
続いて監督が会いに行ったのは、とある記者。彼女は監督の推しの騒動を記事にしたことで、ファンからバッシングを受けていました。
彼女との会話をきっかけに、汚職事件を起こして服役中の元大統領の支持者達のイベントに潜入します。(この行動力が凄い!)
この支持者達というのが日本でいう陰謀論ジジババみたいで本当にヤバすぎるんだけど、話を聞いていると、私も推しに対して少なからずこういう盲目さを持っていたな、こういう気持ちゼロじゃないな、と思って拒絶しきれなかった。
一見理解しがたいように思えても、そこには彼ら彼女らなりの理屈や信条がある。そのことに気付いた監督は、逮捕後もファンを続ける人々に関心を持つことをやめました。
大切なのは、好きになった過程
終盤で登場したのが、監督の実のお母様。彼女もまた推しが犯した罪に悲しむ1人です。
何人ものファンが登場する中で共感できる言葉はいくつもあったけれど、中でも1番心に沁みたのはこのお母様の言葉でした。
「大切なのは好きになった過程で、その推しがどんな人かは関係ない」(ニュアンスです)
その言葉を聞いた瞬間、冒頭で引用した自分の投稿や、推しを通して仲良くなったSNSのフォロワーさん達のことを思い浮かべました。
きっかけこそ推しではあったものの、一緒にいて楽しい、また会いたいと思えるのは、紛れもなく彼女たち自身の人柄によるものだ、と。
そう気付いた瞬間、これまで何年間もなんとなくおざなりのまま心の底に溜まっていたものがスッと消化された気がした。
仲間と出逢えたこと。楽しかった日々。一歩踏み出せた勇気。それらはプライスレスな財産で、奪われることも損なわれることも決してない。たとえそれが、きっかけを作った推し本人であろうとも。
私は、『成功したオタク』になれていますか
もうオタクなんてしない。そう誓ったオタク仲間のその後を監督が追うと、結局他のアイドルや別のジャンルに転生している人が何人かいました。
ちなみに私はというと、今も元推しがいるグループのファンを続けています。
彼の行いには心底呆れたけれど、一連の騒動で迷惑を被った他のメンバー達のことはこの先も応援したかった。
でも、もう彼の名前を記したうちわやペンライトを持つことはなくなりました。オタクというよりファンになったというか。以前よりもゆるく応援することで、こうやって色んな映画やライブを観に行って、広く浅くエンタメを楽しむようになりました。
あの時の熱量は二度と取り戻せないという揺るぎない事実と、ファンで居続けられなかった罪悪感が混ぜこぜになって、コンサート中に泣いてしまったこともあったけど。
推しだった彼はその後一層努力に励み、仕事でも学業でも功績を収めている。一旦荒んでしまったファンの土壌も、また新たに育まれつつある。
今の私にとって彼は、好きなグループのメンバーの1人であり、それ以上でも、以下でもない。今いるファンを大切に頑張ってや~くらいは思うけど。
もう前に進んでいる本人やファンの方々にはこんな蒸し返すようなものを書いて大変申し訳ないのですが……、私にとって、この映画と向き合う上で避けては通れない出来事だったので、このような形で文章にすることにしました。
これからも私は、彼個人のグッズを買うこともないし、グループでの公演以外に彼が出演するステージを観に行くこともありません。
でも、彼からもらったたくさんの宝物と感謝はずっと、ずっと忘れない。
本当にありがとう。大好きだったよ。