偶像たちが目にしみる

あなたに心奪われながら 僕は生きてもいいですか

創作『腹が減っては』

お前は大丈夫だよな。

 

その台詞も、その時の状況も、まぶたの裏に鮮明に残っている。彼に会ったのは、その日が最後だった。

 

1ヶ月が経つ今も、その情景を副菜に白飯を貪る日々が続いていた。好きで毎日思い出している訳ではない。好きで毎日米を炊いている訳じゃない。ただ機械的に咀嚼し嚥下する様は、職場のシュレッダーとさして変わらない気がした。むしろ不要になった書類を噛み砕いてくれるシュレッダーの方が、日々己の役割を全うしているし、きっと、私よりも人々に必要とされている。

 

大丈夫、とは、どれほど便利な日本語だろうか、と美都は思う。

 

「今日、美都ちゃんも来る?」
「大丈夫です」
億劫な飲み会をやんわりと断る時にも使えるし、


「え~そしたらさぁ、これお願いしてもいい?ごめんね、大丈夫?」
「大丈夫です」
厄介な仕事を押し付けられた時にも使えるし、


「お前は大丈夫だよな」
面倒な女を遠回しに突き放す時にも使える。


思えば彼が言った「大丈夫」は、心配が要らないという意味ではなく、美都の存在自体が彼にとっては不要である、という意味が込められているようにも、思えた。

 

大丈夫、という言葉が出てくるときに、本当に大丈夫だったことなんて一度もなかった。けれど、大丈夫じゃないです、とは口が裂けても言えなかった。

 

飲み会に消えていく面々を横目に、託された、仕事を終わらせる。オフィスにはもう自分しか残っていないようだった。時計の針を見てはっとする。
スマホを取り出し、YouTubeのアプリを開く。登録チャンネルのページに新着の動画が上がっている印の赤いマークがついていた。そのサムネイルとタイトルを見た瞬間、美都は思わず口元を押さえた。確認だけでも、と思ったが、これは家に着くまで待てない。
誰もいないなら、いいよね。
憚る人目なら今は無い。イヤホンも付けず、美都はページの一番上の動画をタップする。

 


『こんにちは!美 少年の岩﨑大昇です』

 

画面に現れたのは、色白な美少年だった。美少年というのは、彼を表す形容詞でもあり、また彼の肩書きでもある。
キッチンらしき場所で一人カメラに向かう大昇くんの姿に胸が高鳴る。

 

美都が密かに応援しているジャニーズJr.の6人組ユニット『美 少年』は、毎週土曜日の夜8時にYouTubeで動画を更新している。等身大の10代の男の子たちらしさと、ステージで見せる磨いたばかりの宝石のような輝きが彼らの魅力だ。
いまの美都にとっては、この土曜日の夜だけが唯一の救いだった。
大丈夫じゃない日も、大昇くんを見ている時間だけは、すべてを忘れて幸せになれた。

 

今回は6人の中でも美都の一番の『自担』である大昇くんが得意の料理をメンバーに振る舞うという。手際よく調理を進めていく姿に、ファンであるという贔屓目を抜きにしても見入ってしまう。
何より、メンバー1人1人の好みを考え、料理に工夫を凝らしていく大昇くんと、出来上がった料理を美味しそうに平らげるメンバーの姿に目の奥が熱くなった。

 

動画を見終わり、そそくさと鞄を片付けた。早く帰りたい。

早く電車に乗って、スーパーに寄って、ごはんが食べたい。

 

いつもは見切り品のお惣菜ばかりを詰め込んでいた最寄りの24時間営業のスーパーのレジ袋には、今日はまだ調理されていない食材ばかり入っていた。
まずは米を炊く。
『実家から送られて来たんだけど、うち炊飯器ないから』
そう言って半ば強制的に我が家に持ち込まれた5キログラムの米俵は、彼からの最後のプレゼントだった。
当時まだ開封していたぶんを食べきってから開けたため、まだ残量はそこそこある。元彼からの置き土産とはいえ、食べ物に罪はない。粗末に扱うのは気が引けた。
これを送った、雪と米の町に住む彼の家族はこの成れの果てをどう思うだろうか。息子のために送った米を、会ったこともない、息子の別れた恋人がせっせと貪っている。それを思うとまた、出所のわからない罪悪感に駆られ、美都は毎日米を炊き続けた。
とにかく、早くこれを食べきらないと。
その思いは今でも変わらない。しかし、今は少し違う。

早くこれを食べきって、新しい自分になりたい。

 

テーブルにはほかほかのおにぎりが2つ。
「いただきます」
一人暮らしだからいつもはそんなことしないけど、今日はしっかり手を合わせた。
丸みを帯びた米の山頂にかぶりつく。具材はサラダチキン、梅干し、大葉。大昇くんが最初に龍我くんに作ったサンドイッチの具だ。
順番が最初だったというのと、時間帯的に唐揚げやハンバーグはちょっとなぁ…と思ったこと。しかし一番は、
「大正解だと思うんですよ、この組み合わせ。おにぎりにしても美味しそう!」
調理をしながら楽しそうにそう言った大昇くんの言葉を受け、この具材でおにぎりを作りたいと思ったからだった。
調理工程としては、フォークを使ってサラダチキンを一方向にほぐしていく。龍我くんの好物の梅は種を取り除き、包丁でペースト状にしていく。大葉は丸めて細かく刻む。そしてこの3つを混ぜ合わせる。単純ではあるが、何だか達成感があった。


「……美味しい」
これまでただ噛み潰すのみに徹していた白色の穀物の味が、これまでとは別物のように感じた。
美味しい。お米ってこんなに美味しいんだね、大昇くん。

 

それに、誰かを想って作るごはんって、こんなに楽しいんだ。誰かを想って食べるごはんって、こんなに嬉しいんだ。知らなかった。

 

彼と食事をともにしたことは勿論あった。あるドライブデートの日、美都はオムライスが食べたかったが、彼が食べたいと言った中華料理を選んだ。
美都が注文した蟹玉を見て、彼が「やっぱりオムライス食いたかったんじゃん」と言った。
「大丈夫だよ、あっちのお店じゃこんな美味しい蟹玉食べられなかったでしょ」
「向こうの店行っても同じこと言うだろ、こんな美味しいオムライス食べられなかったよって」
会計は車代として美都が支払った。あの時の蟹玉の味も、そもそも彼が何を頼んでいたかもまったく思い出せない。彼と最後に会ったのは、その1週間後だった。そして、今に至る。

 

夢中で頬張る米の中に、具材のものとは違う塩気があった。それが自分の涙だと分かりきる前に、滴がどんどんテーブルを濡らしていった。
自分が深く傷付いていたことに、ようやく気付いた。

 

涙を拭った手は米の温度をのこしたまま温かかった。自分の体温ではないものの温もりに、誰かに拭ってもらったような感覚に苛まれる。

「ごちそうさまでした」
2つのおにぎりを平らげ、美都は大きく伸びをした。食事をして達成感を得るなど、もはや人生で初めてかもしれない。
明日はなにを食べよう。なにを作ろう。心の中はワクワクでいっぱいだった。そうだ、今度の休みは天ぷらを揚げてみよう。揚げものなんて全然作ったことないけど。

 

「ま、大丈夫でしょ」


これからも、大丈夫じゃない日々はきっと続く。大丈夫なわたしにならなくちゃいけない瞬間は明日にでもきっとまた来る。

そのときは、とびきりおいしいごはんを作ろう、と思った。

 

まだ今は誰のためでもなく、わたしのために。

 

 

【今回登場した動画はこちら】

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